特集
- 南城市 仲里玲子さん
基本情報 | |
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名前 | 仲里玲子さん |
場所 | 南城市 |
作物 | クレソン |
農家歴 | 2年 |
干ばつで県内各地の農産物に影響が出ていた8月初旬、南城市のクレソン畑を初めて訪れました。場所は南城市志喜屋。遠くに海を見下ろす小高い丘の上に、青々としたクレソン畑が段々畑のように上から下へ広がっていました。干ばつの影響を心配しながら訪れましたが、驚くことに畑はキレイな水が絶えず流れています。
クレソンを育てるには豊富な水量と清らかな水質で絶えず流れがあることが必要です。様々な水の名所や湧き水があることで有名な南城市だからこそ育てることのできる野菜とも言えます。
仲里さんの水田も4メートル✕4メートルほどに区切られ、水が流れるように水田自体に傾斜がつけられています。温度は15度前後が一番適しており、水が冷たいと葉も柔らかく育つのだそうです。そのため沖縄では冬が旬となり、夏場は水量豊富な地域のしかも上流でないと育てるのが難しいといいます。
- 数カ所の湧き水が畑にひかれている
- クレソンの苗植えはどのように行うんですか
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苗植えの時は、キレイにならした水田に苗をぽんぽん投げ入れるだけ。何日かしたら根をはって起き上がってきて、また新しい葉を生やすという風に、水田中にどんどん広がっていきます。
繁殖力が強いのも特長で苗植えから35日前後の短期間で収穫もできます。また同じ苗からまたさらに生えてくるという点もあり、南城市ではクレソン農家も広がっています。(干ばつの影響もあり)水量は少ないほうですが、今までも水が枯れたことはありません。あまり知られていませんが、クレソンの生産量も実は全国二位と恵まれた水環境がクレソンの栽培には適しているのかもしれませんね。
- いつごろから南城市でクレソン販売が始まったんですか
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南城市にクレソンが伝来したのは昭和40年代中ごろ、と教えてくれたのは南城市知念に住む親川孝雄さん。南城市からブラジルに移民した仲里仁寿(屋号:志喜屋仲)さんという方が、ブラジルで栽培が盛んなクレソンの苗15本を持ち帰ったのがはじまりと言われています。
その後南城市で栽培が始まったクレソンですが、飛躍的に生産が伸びたのは東京の「関東クレソン会」からの南城市のクレソンを出荷してほしいと声がかかったことによると言います。出荷先が決まったことにより、生産農家数も増え、最盛期は60戸のクレソン農家さんが活躍していたそうです。現在でもクレソン出荷先は県内よりも県外が多く、意外に思われるかもしれませんが生産量は日本国内でも有数です。15本の苗から一大産地へと成長したことは、仲里仁寿さんの功績です。
- 生で食べられるクレソンを育てることがこだわり
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南城市では、クレソンをいろいろな料理にして日常的に食べられています。苦いという印象もありますが、南城市のクレソンはさわやかな風味があり、柔らかくクセがないのが特長です。葉だけではなく茎もすべて食べることが出来ます。
仲里さんのおすすめの食べ方はサラダ。生で食べられるように栽培過程でもできるだけ農薬を使わないように工夫しています。栄養価も高く、おいしいクレソンが県内でなかなか消費されないのは食べ方がわからないから」と親川さんは言います。南城市で長い間育てられていた馴染みの深い野菜「クレソン」。今一度その素晴らしさを知り、食卓の新たな一品として登場させてはいかがでしょうか。
熱にも強いため火を通してもキレイに色が出るのもクレソンのいいところ。仲里さんはお餅の色を付けるのにクレソンを使うのだそうです。またクレソンの伝来を教えてくれた親川さんの奥様、園子さんもクレソンケーキを作ってくださいました。 チキナーのようにしてごはんに混ぜて食べたり、クレソンで手巻き寿司、クレソンで焼き肉を包んで食べるなど、クレソン料理はバリエーション豊かです。 栄養価も高く、美味しいクレソンがなかなか県内で消費されていません。ぜひ園子さんの自宅を改装したカフェ「タルタルーガ」で新しいクレソン料理を体験したみてはいかがでしょうか。
取材日:2013.10.10