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まーさんピーポー vol.3沖縄の野菜は、すごく力強いどう、活かすかがポイントになってくると思います家業を継ぐ為、一度は土木の道に進むが、料理への情熱が忘れられず24歳の時に料理人の道へ。現在はエリスリーナ西原総料理長を務める。

今回は、エリスリーナ西原の総料理長の原佳文さんにお話を伺いました。
料理人ならではの視点で、沖縄食材の魅力、そしてこれからの沖縄の食について語っていただきました。

-原さんは、沖縄のご出身ですか?

はい。沖縄ですね。宜野湾の出身です。

-料理人になるきっかけとなった出来事やお料理などございますか?

高校時代のアルバイトで、ずっと調理をしていたんです。
タコス屋さんの配達から始めて、ステーキ屋さん、ソバ屋さん。
ほとんど、飲食のバイトをしていましたね。
最初はホールに入っていたんですけど、厨房を見てて料理人の方がカッコイイなと思って、僕も厨房に入れて下さいってお願いした事がきっかけですね。

ただ、父親が土木の会社を経営していたものですから、小さい頃から、その仕事に就くんだろうなと思って、専門学校もその方向に進みました。
一旦は社会に出たんですが、ちょうど僕らが社会人になった頃は「料理の鉄人」が流行った時代で。それを見ながら、アルバイト時代の思いが重なってしまって。
お客さんに喜んでもらって、じかに触れ合いたいという気持ちが大きかったですね。

それで、24歳の時に、飛び込みで、学校も行かずレストランで働かせてください、とお願いしたんですよ。

まあ給料は激減したんですけどね(笑)

エリスリーナ西原ヒルズガーデン 料飲グループ長 兼 統括料理長 原佳文さん

-何のレストランだったんですか?

フレンチレストランですね。
あの頃の沖縄では、フレンチやイタリアンは、なかなか浸透していなかったんですけど、中部では美味しいと評判だったお店でしたね。

オーナーさんと料理長さんに一度は断られたんですけど、再度お願いして入れて貰える事になりました。

エリスリーナ西原ヒルズガーデン 料飲グループ長 兼 統括料理長 原佳文さん

-すばらしい情熱ですね。

まぁ、そこから本当の厳しさを知りましたね。

楽しいだけじゃないなぁ、と。アルバイトとは違うなぁ、と。
ゴミ袋をちぢんだ状態ではめてただけで、ゴミ箱ごと、思いっきり投げられたり。
そこで、一つ一つの仕事の丁寧さを教わりましたね。

一年間は、洗い物と、野菜の下処理のみでしたね。料理人というよりは、雑用ですね。

-その後、しばらくは、そのフレンチレストランで働かれていたのですか?

そこには一年半いました。

その後、料理長の紹介でホテルに移らせていただいて、そこのホテルに2年。
その後は、居酒屋とか、割烹も経験しました。

もう、一年いるかいないかぐらいですね。

-何でも出来るんですね!

いえいえ。どうしてもホテルにいると、フレンチばっかりっていうのもあったので。
割烹や居酒屋も好きで、お鮨とかお刺身とか、そういった部分も勉強したいな、と思いました。

それが良いか悪いかは別として(笑)
フレンチならフレンチで難しいソースも、もちろんあるので、フレンチ一筋でやってる方と比べて、ある部分でのこだわりは僕には無いかも知れないし。

ただ、そうですね。魚をさわらせてもらいたいというこだわりはありましたね。
夜は居酒屋で働いている時も、昼間は魚屋さんで、小型から大型の魚まで全てさばく練習をさせてもらいました。

どうしてもスタートが遅かったのでね、必死でしたね。

-ずっと続けられたのは、お父さんの土木の仕事を蹴ってしまったという気持ちもあるからでしょうか。

そうですね。
親から大反対されたんですけど、やりたいという気持ちを貫きましたから。

あと、祖父が戦時中に、日本軍の専属の料理人で、かげながら応援してくれてたっていうのもありますね。
小遣いを少しくれたりとか(笑)

-どこの、おじぃも一緒ですね。

はい。
祖父も後々は、土木の方に進んだんですけど、30歳ぐらいまでは料理をやっていたみたいです。

料理が好きで、80歳過ぎても家で魚をさばいてましたね。
包丁をぷるぷるさせながら(笑)

でも、いざ魚をさばく時は、ピタッと、止まるんですよね~。

エリスリーナ西原ヒルズガーデン 料飲グループ長 兼 統括料理長 原佳文さん

-かっこいいですね!

僕も、すごいなぁ、って思いましたね。
包丁も、ずっと同じものを使って、もともとは長かったものが、すごく短くなってて。

見てて、かっこ良かったですね。

-お祖父さまに、小さいころ作っていただいたお料理はありますか?

いやぁ。酒飲みだったので、つまみですよね。
お刺身ばっかりで。魚が好きだったので。

エリスリーナ西原ヒルズガーデン 料飲グループ長 兼 統括料理長 原佳文さん

-先ほどのお魚をさばく練習などは、お祖父さまの影響もあったのでは?

そうですね。じいさんが和食をずっとやっていたので。

包丁をみたら、、、。なんか日本男子ですよね。
日本の男たるもの!みたいな。

すごい強いじいさんでした。
料理を後押ししてくれたのも、じいさんでしたし。

-昔の思い出に残る料理はありますか?

お袋の味じゃないですけど、ひじき炒めが好きですね。

旬の時期になると、生のひじきをお袋が買ってきて、大豆と豚肉、人参の細切りとこんにゃくとを炒めて作ってくれましたね。
小学校のころから好きで、それが夕飯だとうれしかったです。

嫁さんも、お袋から教わって作ってくれますね。

-県産食材のお料理に対するアドバイスをいただけますか?

自分が沖縄の野菜に対して思うのは、すごく力強いという事。
味に関しても、辛さ、苦味、甘みが極端ですよね。

逆に本土の野菜は味が繊細。葉も柔らかかったりします。

同じからし菜をとっても、沖縄のからし菜はすごく力強い。
ハンダマも、本土では「すいぜんじな」って呼ばれて使われているんですけど、沖縄のハンダマはしっかりしていて、サラダで食べると食感がすごく美味しい。

島唐辛子、島にんにくも、県外さんには無いぐらい辛い。
すごく、インパクトがありますよね。

-匂いも鮮烈ですよね。

そうですね。香りも強い。

通常、野菜はメインとして使うのではなくサイドのつけ沿えとして、よく使うんですよ。
その点で沖縄の野菜は、メインを引き立たせてくれるな、と思いますね。
県産の野菜は強さがあるので。

それを、上手く活かすかが料理のポイントになってくると思います。
あえて苦味を残してリゾットにしてみたり。
反対に、苦味が邪魔だから塩もみしてしっかりもんで、一日おいて苦味をとった上で香りだけを残して使用したりもします。

-どうして県産野菜を使おうと、思ったのですか?

やっぱり、「沖縄の」という事ですよね。
エリスリーナ西原がオープンした時も「地元に愛される施設を」という事が一番のテーマだったんです。

今、西原町は、からし菜の生産に力を入れているので、からし菜は西原、カボチャは南風原など、八百屋さんに指定して仕入れることもあります。

-県民の皆さんに食べてほしい県産食材はありますか?

まだ流通はしていないんですけど、北部の山原の方でカモを育ててますよ。

エリスリーナ西原ヒルズガーデン 料飲グループ長 兼 統括料理長 原佳文さん

エリスリーナ西原ヒルズガーデン 料飲グループ長 兼 統括料理長 原佳文さん

-カモ?

はい。今、沖縄県のカモの育成に取り組んでいるんですね。
北部の伊江島だけであれば、実際に食べられているんですよ。

もっともっと、沖縄の食材は可能性があると思いますね。

他にも県では、マグロにも力を入れてます。

-美ら海マグロですね。

はい。漁獲量でいえば、沖縄はかなり高いですからね。

もっと広めていきたいですね。

-エリスリーナ西原さんでも力をいれている?

そうですね。マグロは一匹ものを仕入れてホテルで解体まで行っています。
目の前でさばいたものを、そのまま刺身と鮨にしてお客様にご提供していますね。

-野菜離れが進んでいると言われる若い人たちにメッセージをお願いします。

野菜を食べて欲しいですよね。
地産地消が自分達の生活を豊かにしていくんだよ、という事を伝えていきたいですね。

季節のものを食べて味わうことによって、体も健康になっていくんですよね。

エリスリーナ西原ヒルズガーデン 料飲グループ長 兼 統括料理長 原佳文さん

-食育については?

そうですね。僕も、すごく興味があるので、食育はやりたいと思っています。 幼稚園や保育園をまわったり。

本土では、お鮨の職人さんが目の前で鮨を握って、食べさせながら地産地消のことや食育のことをテーマに教室したりしているんですよ。

食べることから、人間は生きていくことを学ぶのだと思います。

気さくにお話していただいた原さん。
その裏には、多くのご苦労があったと思います。
そんな原さんが総料理長を努める「エリスリーナ西原ヒルズガーデン」では、その時、その瞬間の一生に一度の思い出づくりのお料理にこだわりを持ってご提供しています。
高台に建つエリスリーナ西原ヒルズガーデンは、おいしい料理はもちろん、素敵な景色も堪能できる特別な空間です。
料理長が心を込めたおいしい料理と、ゆったりとした時間を味わいに、皆さんもぜひ足をお運び下さい。

エリスリーナ西原ヒルズガーデンの公式ウェブサイトはこちらです。http://www.kagiyade.net/

取材日:2012年3月12日