おきレシとは?
知念 和子
- この仕事について何年でしょう?
- 概ね35年
- この仕事を選んだきっかけがあれば、教えてください。
- 教育学部を卒業したが、その当時(1976年)は教員採用がなかなか無い時期であったため、4年次のときに業務内容や農業のことはまったく知らないまま、生活改良普及員の資格を取得しました。卒業間近の2月に産休交代職員の話を受け、南部農業改良普及所東風平支所で非常勤職員として約2ヶ月勤務しました。
そのときの業務内容は、農家の健康関係の課題解決を支援することでしたが「これはやりがいのある良い仕事かも!」と思いました。
- この仕事をやっていて良かったと思った瞬間は?
- ・普及員3年目に、生活完全グループとともに、南風原町特産のカボチャと冬瓜のジャム作りに取り組み、実績発表会でメンバーが演示発表したときのうれしそうな表情をみたとき。
・所内のチームで地域農業の課題解決に取り組み、高齢者も含めた座談会を何度が開催し、地域が前向きに動き始めたとき。
・農業や作物について考える業務なので、自分自身の食生活にとってもプラスになっています。農産物の利活用について農家さんや仲間たちからいろいろ教えてもらいました。
- この仕事が辛いと感じた出来事はありますか?
- ・新米のころ、農産物利活用講習会を実施してうまくいかなかったとき。
・台風などで農産物被害が大きく、収入がなくなった農家さんの相談を受けたとき。
- 普及員が集めたレシピに対する思いを聞かせてください。
- ・トビイカの消費拡大をはかるため、柔らかくなるゆで方を糸満のウミンチュの方から教えてもらったときは眼からウロコでした。