沖縄の皆さん
おきレシファンのみなさん、
はいたい!
東京に帰って来ました!
あんこママです♪
今日のお料理はこちらです〜♪
ビールにぴったり!!
島らっきょうのフリット
島らっきょうって、実は我が家の近くのスーパーでも販売されているんですよ〜。
また、よく東京にくる沖縄物産展にもかならず売られています。
それだけ需要があるってことですよね〜。みんな、どうやって食べているのかしら?
宮古島の親戚のおうちの畑でとれた島らっきょう、たくさんもらってきました。
畑の島らっきょうはこちら!
ン?どれが島らっきょうでしょう〜??
これでしたぁ〜!
とれたてほど、苦みが少なく香りたかく美味しかったです♪♪
生食もアリですね!
そういえば昨日13日、こちらおきレシの「島しょくざいでごはん」ブログを一緒にさせてもらっていますソルトマイスターの青山志穂さんの「塩講座」@東京に行ってきました!
とっても勉強になりました!
そしてそして、
明日5月15日は「復帰40周年」の記念日ですね!
今回、那覇に滞在中にこのようなポスターをたくさんみかけました。
NHK連続ドラマ「ちゅらさん」の主人公エリィは復帰の年1972年に生まれたという設定でしたね!
アメリカ占領時の沖縄は「アメリカ世(ゆー)」と呼ばれており、
沖縄に住む人もなんとアメリカのパスポートを持たされていたんですよ〜!
なんとそのパスポートが、東京の我が家にあります!
だんなッチのお父さんの遺品です。
米軍の通訳を勤めた後、海外との仕事が多かったお父さんは仕事で海外に何度もでかけた記録があり、このパスポートも何冊もありました。
「アメリカ合衆国政府 米国民政府 琉球列島」とあります。
このパスポートを見ただんなッチが
「オレたち、米国民だったんだな〜…」
と驚いていました(笑)
一番大事な所は英語表記です。
1971年の発行になっています。日本語表記は「訳文」と表記されてますね。
このパスポートは有効期間が短かったのか、お父さんは1968年〜72年まで計5冊も持っていました。
1971年の3月3日〜9日までおでかけだったのですねー。
このパスポートで日本の本土にも「入国」されてました。
やはり有効期限が一年だったのねー。
さて、親戚の古いパスポートもなぜか我が家に保存されておりました。
先ほどのお父さんのパスポートとは色も形も違います。
どうやら本土と沖縄間のみに使われたパスポートだったようです。
「本土と沖縄との間を旅行する”日本人”であることを証明する」とありますね。
さきほどの青いパスポートとは表記のニュアンスがちょっと違いますね…。
昭和45年に発行ですから、復帰の昭和47年(1972年)より前なのにね?
「この身分証明書は、沖縄が本土に復帰する日の直前まで有効である」
とあります。
「日本国への帰国を証する」とあります。1972年4月15日の日付です。
5月15日を前に沖縄では様々な集会が行われているようですね。
東京でもニュースになっています。
そんな中、沖縄に縁のある者として、見ておくべきかなと思い
帰京してすぐにこの映画を見て来ました。
★ドキュメンタリー「誰もしらない基地のこと」【公式サイトへリンク】
★記事「誰も知らない基地のこと」イタリア人若手監督が米軍基地の実業にせまる 【映画.com】へリンク
このドキュメンタリーには沖縄県にお住まいの方でも、ひょっとしたら知らない事実が描かれているかもしれません。
また、この映画はイタリア人の若手監督2名によって撮られたものなのですが、当初は日本を取材する予定はなかったそうです。
ところが、取材をすすめているうちに沖縄の基地に至り、結局沖縄が映画の大半を閉めるようになってしまった事に本人たちも驚いたと語っています。
残念ながら東京での上映は終了していますが、機会があればぜひ。
私も、そして
皆さんが大好きな沖縄
その歴史と現状
心のどこかに留めておいていただければ幸いです。
★西新宿で沖縄料理 一緒に作りましょう♪♪
料理教室 Kitchen Anmar@Tokyoの詳細はこちらから!
5月20日(日)11時〜 残席1名
5月30日(水)11時〜 残席若干名
5月のテーマは「ゴーヤを極める!」です。
★あんこママ家の晩ご飯と4歳ばぶゾーの名言集のブログです
あんこママ、初めてコメントします(^o^)
宮古では、ガトーショコラの作り方を教わったりといろいろお世話になりました。なんと、島らっきょうを引き抜いた私のごつい手も一緒に写真に写っているではありませんか(^_^;)
これからも、あんこママのレシピを参考に苦手な料理が少しでも上達出来るようがんばりま~す。これからもよろしくね。
私は復帰後に生まれたので詳しくないですが。
昔は、沖縄から出るのにパスポートが必要だったという話は
よく聞いていましたが、実際にその頃のパスポートを見たことはありませんでしたし、パスポートが2種類あったのは初耳です。
旦那さまの「オレたち、米国民だったんだな」と言う言葉に
深い歴史を感じますね。
>ミーヤさん、あの畑の持ち主様!コメントありがとうございます!
宮古滞在中は本当に本当にお世話になりました。島らっきょうはこちらでおいしーく頂いてます♪♪こちらこそ今後ともどうぞよろしくです♪
東京にお越しの際は、2泊と言わず3泊4泊してください!ばぶゾーが喜びますんで!
>Kamさん
今日が40周年の日ですね!
我が家のダンナっちは復帰前の生まれですので、復帰直後の大混乱をよく覚えているようです。また、つい10年くらいまで親戚が復帰前に買った車「リンカーン」に乗っていたり、おばぁの英語の発音が意外に良かったりと、やはり沖縄は「米国」だったんだなと思う節が多くありますね〜。でも、東京の我が家の倉庫からこのパスポートがでてきたのは本当に驚きました。
私は、母からたまに
復帰前の話を聞くぐらいだったのですが
車は、右側を走っていたり、
お金は、ドルだったり、、、。
自分の母親の世代まで、
沖縄は「沖縄県」では無かったのですよね。
恥ずかしながら、私は
慰霊の日の事も、最近になって知りました。
もっと、みんなに知って貰わないといけないなぁ、
と思います。
貴重なお話、ありがとうございます!
>hachiさん
コメントありがとうございます!
私も聞いた話ばかりでしたが、このパスポートを見つけた時は衝撃でした。
だんなッチも初めてのお小遣いは1ドル硬貨だったそうです。
復帰直後はお義母さんは常に日本円とドルの換算表をもちあるき、見ながら値段を確認して、買い物をしたそうですよ。すごい時代ですよね。
今の沖縄のことも含めてぜひ多くの方に知ってもらいたいな、と私も思います。